2011年7月11日月曜日

このところの疑問

多分、何度も同じことを書いていると思います。
言葉は違ってもきっと根底に流れている疑問は一つだと思います。
『あーまた言うとる』とお思いでしょうが、ハイ、また書きたくなりました。


世の中アートフェアに類したイベントだらけです。
京都でも大阪でも、もちろん東京でも。
それなりの内容と集客は確保しているようです。
アートコレクターの裾野を広げるとかマーケットを確立するとか、
アートのある豊かな社会にしようとか、
どのイベントでもそれらをコンセプトの中心に据えています。


デザインを中心としたイベントでも似たような内容です。
デザインで社会に貢献しよう、心の豊かな社会をデザインの持てる力で築こう。


僕も参加します、興味深いし価値のある経験をしています。
もっともっと多くの人がイベントに集まればいいと思っています。


でも、本当にそういったコンセプトは達成されているのでしょうか?
何年くらい続けていけば達成されるのでしょうか?
その前に、アートやデザインはそんな力を持っているのでしょうか?


現場の中にいる僕としてはそう信じているし、
これからもしっかりと活動したいと思っています。
それが僕の拠り所ですから。
きっと他の人たちも同じだと思います。
だからこれだけのイベントが企画され開催されるのでしょう。


でも、どこか、何か、間違っているところはないのでしょうか。
どこなのか、何なのかはわかりません、答えがあるのかどうかもわかりません。
もしかしたら間違っていないのかも知れません。
ずっと疑問に思いながら続けています。


井の中の蛙大海を知らずの例えのように、まだ何も見えていないのでしょうか。
根底から覆るようなところに今立っているわけではないですよね。
僕自身は随分前に井戸から出て大海にいるつもりです。
今も井戸の中にいる人たちをたくさん知っています。
こちらが恥ずかしくなるほど盛り上がっています。
彼らに『そこは井戸の中やでー』って知らせています。
でも、僕自身も一回り大きな井戸の中だったりするという、
滑稽な状況である気がして仕方ありません。


アートやデザインなんてたかが嗜好対象の一つでしかないと思います。
関係者や一部の人たちが群れているだけでは自己満足で終わりです。
多くの場合はそうなっています。
そうではないと言い切れる主催者がいたらメールを下さい。
簡単に論破して差し上げます(・・・メールなどしないで下さい・・・)


本当は個人一人ひとりに届くようなメッセージが必要ではないのでしょうか。
或いは受け取る側の思考が硬直しているということも考えられます。
裾野を広げるためには怪物のような巨大な山が必要です。
怪物を受け入れる世の中も必要です。
コトはもはや教育問題なのかも・・・・?




されど、人として大切な嗜好行為(こんな言葉があるのでしょうか)
おろそかにはできません。








・・・そのうち、また書きます。

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