2011年1月31日月曜日

地元在住






昨年開業した新青森駅前のモニュメントを制作した中西信洋さんは、
僕の住んでいるこの枚方市在住だそうです。
経歴を見るともちろんずっと枚方にいたわけではありませんが、
やはり親近感を持つものですね。
青森がさらにまた身近に感じるようになりました。

記事:http://acacaomori.exblog.jp/15532963/

記事:http://artscape.jp/report/curator/1222080_1634.html


毎年スイスで個展を開催したり、
コム・デ・ギャルソンの川久保玲さんに直接映像作品を依頼されたりと、
作家として活躍している人が地元在住だとは知りませんでした。
今月の枚方市の広報に記事が載っていてなんだかちょっとうれしくなりました。
もっともそれ以上でもそれ以下でもない関係なんですけどね(笑)

でも作品は一度ちゃんと見てみたいですね。
写真では伝わらない何かがありそうな気がしています。




※写真と文は関係ありません。

2011年1月30日日曜日

離れたところから・・・






自分が中心になってやっていることって、
もちろん真面目にやっているつもりでも、
どこかおかしなところが出てくるものです。
何年もやっていることで経験やノウハウを積んでいても、
動き出してしまうと回りが意外に見えなくなってしまいます。

その間にいろいろと見聞きすることは、
基本的に自分と同じ動きをしている人たちばかり・・・ 
賛同者の声は気持ちよく聞こえます。
確かに大きな支えにはなりますが、
その声はほんの僅かな少数意見だと言うことも忘れてはいけません。
時には時空を超えたところから、
自分を眺めてみましょう。
きっと違ったものが見えてくると思います。

2011年1月29日土曜日

「できないこと」と「やりたくないこと」






自分がやりたいことだけど、
ここまでは出来るが、悔しいことにこれ以上は出来ない。

逆に、自分はやりたくないことだけど、
ここまでは出来るが、これ以上は出来ない。

もう一つ、
自分はやりたくないことだから、
最初からやらないし、やろうとも思わない。

「できること」や「できないこと」にもいろんなパターンがあります。

僕自身もやりたくないからやらないことたくさんあります。
その中には、きっと「できること」もあるし「できないこと」もあります。
でも、一応心の中では、常に何でもやってみようとは思っているのです。
やりたくないことの中にも、何が見えるか興味があるからです。
経験上、結構その中に自分のやりたいことのヒントがあるものです。
違う方向だと思っていたものが、結局は同じ方向だったり・・・
もちろん、
「あっ、やっぱりやらない方がよかった」っていうのもありますけどね。
それはそれで、再確認したことになるから、無駄にはなってないんです。

でも、こういうことを言葉で伝えるのって難しいですね。
経験しないとわからないことだけど、それ程経験できない気もするし。

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若いアーティストに時折色々な提案をするのですが、
それはやりたいことじゃないですからしません、と返ってくることがあります。
じゃなくて、出来ないんやろう!
出来ないことと、出来るけどやらないことは大違いやで。
って言うのですがあまりピント来ないみたいです。

わからないですよね、僕も昔はそうでしたから。
だから、
今わからなくても僕が言っていたということだけ覚えておいて。
あと何年かしたらあのときオッサンが言うてたってわかるはずやから。
っていつも言っているんですけど・・・・

僕も今思えば先輩がいろんなことを言っていました。
もう少し人の話聞いておけばよかったのに(苦笑)

でも、あと何年かしたら、
また僕自身も同じこと思い出すのでしょうね。

2011年1月28日金曜日

洞ヶ峠





洞ヶ峠という場所があります。
戦国時代に筒井順慶が日和見したというので有名な、
国道1号の枚方(ひらかた、大阪府)と八幡(やわた、京都府)の境にある峠です。

もっともこの話は実際とは違っていたそうですね。
江戸時代の講談で広まったらしいです。
筒井家はすでに滅んでいたので、
このような汚名(?)を着せられたのでしょう。

元々の国道1号はもっと西側の淀川沿いだったのですが、
僕が小学生の頃にこのあたりの山を切り開いて作られました。
峠道があったところを広げたのかどうかは分かりませんが、
京都の東寺と高野山を結ぶ東高野街道だったと聞いた記憶があります(不確かです)
当時は車の数も少なくて、
この道を何度も横断して淀川まで遊びに行ったのを覚えています。
今ではそんなこと考えることすら出来ないほどの交通量です。

高校生になった頃でも夜になると交通量は減り、
真っ暗な山の中の洞ヶ峠付近には幽霊が出ると噂が絶えませんでした。
白い服に長い髪の毛、乗せてあげると途中でいなくなり、
シートはびっしょりと濡れていた。
よくあるパターンの話でした。
あの幽霊はどこへ行ってしまったのでしょうか?
今は幽霊が住むところなど全くありません(笑)
幸いにも僕は一度も遭遇していませんが・・・

この峠には昔から峠の茶屋がありました。
もう僕が気がついた頃にはあったと思います。
最近知ったのですが、
そこのオヤジさんの姓が僕と同じだそうです。
どこかで繋がりがあるのかどうか知りません。
何度かその茶屋にも行ったことがあるので、
顔をあわせていますがはじめて名前を知りました。

意外なところで同姓さんとの遭遇です(笑)



※写真は洞ヶ峠とは関係ありません。

2011年1月27日木曜日

スポットライト






僕は作家のタマゴや若い作家に、
スポットライトを当てるのが大好きです。
磨かれていないけど、
どこかに原石の持つ力がキラッと光るときが幸せな瞬間です。
彼らがそこからスタートして、
光り輝いていくことを想像するのが好きです。
そうやってキラキラと輝く光で、
世の中を幸せにして欲しいと思っています。


でも、スポットライトに当たることは、
そんなに難しいことではありません。
当たり続けることの方が何倍も努力が必要です。


そして、僕が彼らに本当に望んでいるのは、
スポットライトが当たらなくても、
自分自身で輝き続けることが出来るようになって欲しいということです。


そうすれば彼らの周りにはまた原石がたくさん集まるでしょう。
スポットライトを浴びることで満足しないでさらに進んでもらいたいです。

2011年1月26日水曜日

うつつ






「うつつ」とは漢字で書くと「現」ですね。
この世に存在している現実のこと、意識が正常なこと。
現を抜かすと言いますが、あることに夢中になって心を奪われることですね。
自分のこと?
この瞬間は幸せな時間ですよね。
できることならばずっと現を抜かしていたい(笑)

来週から個展をする有果里さんとは、
二年ほど前に、あるアーティストの個展で知り合いました。
それ以後彼女の個展を見に行ったり、
僕が主催する個展に来てもらったりしています。
とてもお淑やかなお嬢さんで・・・本当のところは知りませんが、
落ち着きがあって深みのある作品を創られています。


個展のタイトルは「うつつ」ですが、
現を抜かしに訪れたいと思います。
いったいどんな作品に巡り会えるのでしょうか、
いまからとても楽しみにしています。



有果里さんのブログ


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うつつ  有果里 個展

2011年2月3日(木)~2月22日(火)
木~月曜日  12:00~20:00
火・最終日  12:00~17:00
水・第1・第3火曜日 休み

〒567-0888
大阪府茨木市駅前1-8-28 GLAN FABRIQUE 1F
電話:072-621-6953
http://glanfabrique.com/

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2011年1月25日火曜日

無意味なこと






昨日スーパーで買い物をしているとき、
なんだか無性に押しているカートに乗って移動したくなりました。
小さな子供がやるように。。。。。
もちろんやりませんけど。

時々とんでもないことをやりたくなります。

塩と砂糖を入れ替えるとか、
玄関の靴をボンドで貼り付けるとか、
牛乳パックに水を入れておくとか・・・・

デジカメになってからはやってませんけど、
フィルムカメラの頃は、
勝手に自分を写しておいたりしました。
観光地での関係ない団体の集合写真に入ったりもしてました。

だから何?
と言わないでください。
何もないですから。

2011年1月24日月曜日

森と海






森と海は一つ。

森に降った雨は木々と大地の間を抜けて川になりやがて海にそそぐ。
その水の良し悪しによって海は生死を分ける。
それは真っ直ぐに人間に影響を及ぼす。

当然のことですけどね。

農耕の民であれ狩猟の民であれ、
それぞれが目の前の自然を自分の一部だと思えば当然のこととして出来ることが、
自然と離れて暮らすことによって、見えなくなってしまうんですね。


・・・・・・

あまりにも急速に地球を破壊してきたので、
すぐにブレーキをかけないと間に合わない。

ただ、
それでも地球(自然)の力はとてつもなく偉大なのかも知れない。
自然淘汰されるのは人間のような気がします。

2011年1月23日日曜日

一番とは

その昔、と言ってもほんの20〜30年程前は、
今のように世の中の選択肢が多くなかったですね。
そのかわり選んだモノの頂上は極めて高かった気がします。
でも、今は色々と選ぶことが出来て、
そんなに頑張らなくても手が届くようになってきました。
高さの低い山ばかりが点在している気がします。
頂点に立っても大したことないんですけど、
なんとかのカリスマなどと言われてチヤホヤされてますね。
カリスマって使い方間違ってます。

人それぞれに自分の道を歩けばいい。
ナンバーワンにならなくてもオンリーワンでいい。
正しい考え方ですけど、どうも何かずれているように思います。

自分の好き勝手に生きることがオンリーワンではないはずです。
ナンバーワンもオンリーワンも同じように相当な努力をしなければなれない。
本当のオンリーワンはきっとナンバーワンでもあるのだと思います。
少なくとも人並み以上の努力をしている人、した人だと思います。

そういう人の後ろには多くの人たちがついてきて、
その広い裾野は他の山の裾野ともオーバーラップしている。
お互いに影響し合ってまた高みを目指し続ける。
そういうところに大きなうねりを感じませんか?

ランドセル






先日のニュースで知ったのですが、
今ブームになっている伊達直人が交番に届けた善意のランドセルが、
法律上遺失物扱いになってしまいその善意が新年度に届かないそうです。

確かに法律を遵守しなければなりません。
当然のことだと思います。

でも、何とかならないものでしょうか。
そのあたりの融通を利かせることが、
或いは法律の運用を少し拡大解釈してみることが、
それほど難しいのでしょうか。

誰が責任を取るんだというところに、
こういう問題の全ては集約されてしまいますね。

警察官がその職責をかけてするような大きなことではないでしょうが、
こんな些細なことでも誰一人声を上げないという現実の方が、
僕はとても残念ですね。

おそらくは書類一枚だけの問題なんですよね。
担当の誰かがちょっとウインクでもしている間に、
どうにでも出来たようなことだと思います。
そのことをいったい誰が問題にするのでしょう。

・・・今の世の中すぐに訴えられそうですけど・・・

もっともっと大らかに生きましょうよ。

2011年1月22日土曜日

最近のartに関して







真摯にアートと向き合っている人たちを牽制したくないので、
これは個人的な感想や思いだと思ってください。


若い人たちのアートイベントが多く開催されている。
とても楽しそうだしノリもいい。
もちろん内容的には改善の余地はたくさんあると思うが、
自分自身がやって来たことを考えるとどうしても応援したくなる。

ただ20年以上この世界にいて、
毎年多くの若いアーティストに出会いその観客達と知り合う。
しかしそのどちらも年齢を重ねると共に、
自然に消滅していってしまう気がする。

アーティストは一つの駒ではない。
同じ時代を生きていく友人でもある。
彼らが20年後も同じように絵を描き続けていられるように、
そして歳を重ねてもまた展覧会を見に来てくれるように、
しっかりと覚悟を持って行動しなければならないと思っている。

一度聞いてみたい。
アートイベントを主催している若い人たちに、
例えば20年後はどうしていたいのかと。
同時代を生きているアーティストと観客も、
あなたと同じように20年という月日を積み重ねているはず。
20年の月日を含んでイベントを表現するつもりなのか、
或いは今と同じように20年後の若い世代の作家や観客を対象にするのか?
一つの企画・事業として成り立たせるならば、
後者がきっと正解なのだろうと思う。
ただ、それでいいのか?
僕はずっと悩んでいる。

30 年前40年前に世に出たビッグネーム達は、
現在でもその頂点の座を明け渡していない。
どうしてなのか。
時代が違うというような逃げの理由では済まされないと思う。
彼らはアート界の一つの駒ではないからだ。
その後現れたアーティスト達がどうしても彼らを追い越せないのは、
本人が原因というよりは、周囲・社会が彼らと共に成長しようと思わなかったから。
今だけの存在である彼らを望んでいたからかもしれない。

今の僕がやるべき仕事は、
彼らをサポートすることだけではない。
僕が開催するアートイベントは、
大人向けのものでなければならないはず。
じっくりと大人が余裕を持って楽しめるアートイベント。
正直に言ってそんなイベントを見たことはない。
もしかすると地味すぎてメディアになんか乗らないだろう。

先日の若手アーティストの個展は素晴らしかった。
来場者も予想以上だった。
同世代の仲間達もたくさん集まってくれた。
ただ、20年後も彼らは集まってくれるのだろうか?

僕のもっとも信頼できる友人。
画家でもあるがもう50を超えている。
或いは少し年齢は若いが40代後半になる画家もいる。
彼らの展覧会に、彼らと同年代の人たちが集まり、
そこに若手アーティストと同じ年代の人たちも集まる。
それが理想ではないのか?

僕の本当の仕事は、そういう展覧会をすることだと思っているが、
未だにわかっていないことが多すぎる。
迷いもまだなくならない。
いったいいつになったら次のステージに行けるのか。




荒れている






会社勤めをしている人の辞める理由の一番が人間関係だそうです。
そしてそれが原因で病気になる人も多いと聞きます。
社会人だけでなく子供たちの世界でも、
この人間関係が上手く作れないようです。

自分が子どもの頃はどうだったか考えてみると・・・

・・・忘れた(笑)

大変だった記憶がないので日々楽しく学校へ行っていたのでしょう。
適当にズル休みをしたりして息抜きをしていました。
どうしても学校へ行くのがイヤになった経験がありません。
と言うか何も考えずに通っていたように思います。
性格がこんなんだから(どんなん?)
色んなことに気がつかなかったのか、
それとも本当にそんな出来事がなかったのかはわかりません。
気がつかないのも忘れてしまうのも一つの才能だと思います。

今の方が人の心が荒廃しているのは事実ですね。
で、どうすればいいのでしょうか?

難問です。

一つ思いつくのはみんなが権利の主張をするのと同じだけ、
義務の実行をちゃんとすることが必要だと理解してくれると、
少しは変化するような気がします。
もっとも義務や責任という言葉が軽い言葉になってしまいましたけどね・・・

2011年1月21日金曜日

取り替え時






蛍光灯を新しいモノに変えてみました。
部屋が別世界のように明るくなりました。
隅々まであかりが回ります。
お陰でその隅にある汚れまで確認できるようになりました。
余計なところは照らさなくてもいいのに。

でもとても気持ちがいいものですね。
これほど違いが出るとは少々驚きです。
いったいどれだけ暗い部屋で仕事をしていたのか・・・

運動能力と同じで日々少しずつ悪くなっていくので、
替え時をなくしてしまいます。
或る程度明るさが失われたときに、
分かるような仕掛けは出来ないものでしょうか。

もしかすると人間関係の悪化も似ているかもしれませんね。
もっともこちらは取り替えるわけにはいかないですから、
細心の注意を払っていなければなりません。

ただ、ひとことで人間関係と言っても、
昔とは違って本当に人間関係と言えるほど繋がっているのか、
かなり疑問に思う関係もありますから、
何事も一概には言えないという複雑な世の中です。

2011年1月20日木曜日

運動能力







高校時代は今よりもずっと足が長かったと記憶しています。
体育の時間でハードルは得意種目でした。
ハイジャンプも得意でした。
それなのに何故足は僕に断りもなく、
今みたいに縮んでしまったのか、納得がいきません。

冷静に考えると、冷静に考えなくても、
あの記憶は間違っていた気もします。
体重が当時より○○キロ以上も増えた分、
バランスが変化したので縮んだように見えているだけなんですね。

年齢と共に落ちてきた筋力との相乗効果(?)で、
こんなにも運動能力が減少しているとは、
自覚するのに相当な時間がかかります。

何故公園の階段を一段飛びに登ろうとして二歩目でつまずくのだ。
しかも三歩目が出なくて転けてしまったではないか。
誰もいなくてよかった。

この年になるとちゃんと体力を考えなければなりません。
闇雲にダイエットをすると筋肉が落ちてしまいます。
無理な運動はかえって体を痛めてしまいます。
バランスよく・・・・
理屈はね、分かっているのですが。


体重が増えた。
筋力が落ちた。
運動能力が低下した。

いやー、見事な三段相乗効果です。

2011年1月19日水曜日

あれっ?






誰に言われたわけでもなく、
もちろん義務でも強制でもなく今の仕事やってます。
僕は昔は仕事で写真を撮っていました。
ひょんなことから・・・ひょんってなんだ・・・
今ここにいるのですが昨日すごいことに気がつきました。
って、今頃、気がつくの遅すぎないか?
もちろん分かってましたけど再認識です。

ある展覧会の写真を見ていて思ったのですが、
展覧会の質の悪さが写真から伝わってこないという現実。
写真ではその良さが伝わらないとはよく言われますね。
でも考えたらその反対もあるのです。
悪さが伝わらないというのもかなり問題です。
あれ程ひどい展覧会も、
あれっ、写真で見たら別に悪くないって思ってしまいました。

悪いものでもよく見せるテクニックはあります。
そうでなければ仕事にならないことが多いです。
でも、ありのままを伝えることって、
簡単ではなくかなり難しいものです。
こっちの方がより難しいかもしれませんね。
でもこれは写真の基本なんです。
撮影機材がよくなるにつれてこの基本がおろそかになっています。
などと思ったことを書いてみましたが、
自分でハードルを高くしたような気がします。


写真を撮るのが怖くなってきました(笑)
伝えることをちょっと考えてみなければなりません。

2011年1月18日火曜日

近頃の子供は・・・






近頃の子供は外で遊ばないのか?
それは都市部だけのことなのか、
それとも全国的に同じなのか?

ニュースになるような事件は、
都市部だけでもないので、
どこも同じようなものなんでしょうね。

田舎には子供がいない、
また都市部には遊ぶ場所がない、
そして遊ぶ相手もいない、
考えられますよね幾つも理由は。


子供は国の宝というわりには、
自分が何かをしなければならなくなると、
誰も手を出そうとはしません。

例えば、小学校の登下校時に合わせて、
家にいる年寄りはぶらっと表に出てみるとかどうでしょう。
義務でも強制でもなく暇なときにぶらっと出て、
ただ子供たちが通る時間に合わせて門の外にいるだけ。
いってらっしゃい、おかえりのひと言だけでも交わせば、
随分環境は変わると思うのですけどね・・・
ウチの近所は年寄りが多いので出来そうな気がします。
それに毎日誰かが道路を掃除していますから、
その時間を通学時間帯に合わせればいいのです。
簡単。


・・・僕はめんどくさいなぁ〜
ご近所の爺さん婆さんと話するのは・・・・(笑)



※写真と本文とは関係ありません。

2011年1月17日月曜日

自然体に暮らせるか





笑いたいときには笑う。
泣きたいときには泣く。
怒りたいときには怒る。
お腹がすいたら何かを食べる。
眠たくなったら寝る。
こうやって暮らせるものでしょうか?

子供かっ・・・(笑)

こんなに自然に生きることが出来たら幸せなのかな〜

一概にそうでもないでしょうね。
色々な制約の中に見つけた小さなものに、
とても大きな幸せを感じたりすることがあります。

今の時代は子供も制約がたくさんありそうだし、
結構それなりに苦労してそうです。

僕の子どもの頃も同じだったのかな〜?

記憶にありません、そんな制約。

何も考えずに暮らしていたので、
気がつかなかっただけと言われそうですが、
それなりに成長して大人になったはず・・・

まぁ、あまり変わってない気もします。



今日は1月17日、もう16年ですね。
忘れてはいません、いえ、忘れられません。

2011年1月16日日曜日





今日は寒いですね。
冬ですから寒くて当たり前です。

夏暑く冬寒く、春と秋は気持ちよく、
折角四季のある日本に生まれたのですから、
そういう気候がずっと続いてほしいです。

地球の気候が不順なのは今だけのことなのか、
それともこの先もずっと続いていくのか、
地球的規模で見たらほんのささやかな揺らぎなのか、
或いは本当に重大な出来事なのか、
いったい真実はどこにあるのか分かりませんが、
少なくても当面何とかしないと実に不愉快です。

冬空には冬空の、
夏にも春や秋にもそれぞれの空があります。
これがいつ見ても同じだったら本当にイヤです。

とは言うものの、
寒い冬になると夏が恋しく、
夏の暑いさなかには早く冬になってほしいと思ったりします。
ちょっと我が儘な気もしますが、
きっと自然な感情だと勝手に思っています。


※写真と文章とは全く関係ありません。

2011年1月15日土曜日

BOSS

宇宙人ジョーンズのレポートで、
この惑星の人間は上を向くだけで元気になれるというのがありますが、
実際に下を向いているよりも上を向いた方が、
元気が出てきたり気分が晴れやかになったりします。

理論的な証明がなされているのかどうかは知りませんが、
精神的なことだけじゃなくて、
肉体的にもいいと僕は感じています。
笑うことで人は幸せになれたり病気が治ったりするので、
もしかしたら同じような理屈なんでしょうか。

上を向くってきっと世の中を広く見渡せるから、
目先の悪いことだけじゃなくていいことも見えるのでしょうね。

でも本当は宇宙から元気線が降り注いでいて、
上を見上げて直接光線が目にはいると元気になるという仮説も、
バカバカしいけどなんか面白いです。

空を見るとお天気の状態で一喜一憂してしまいますが、
宇宙を見上げているのならそんなことないですから、
これからはみんなで宇宙を見上げましょう。

2011年1月14日金曜日

楽しい時間って?

楽しみってなんでしょうね。
至福の時間をほんの一瞬でも持てるといいのですが、
なかなか日々そうはできません。
もっともこれも考え方一つで変わってくると思います。
メリハリをつけた生活をしていると、
自分だけの時間を作り出すのは意外に簡単です。
反対にダラダラとしていると一日はあっという間に過ぎていきます。
仕事に追われていても同じように過ぎてしまいます。
どこかでビシッとシャッターを閉める勇気が欲しいものですね。
役所や銀行の窓口のように時間が来れば容赦なく閉めて、
後は野となれ山となれって・・・・
決して悪口ではありません。
当然と言えば当然なんですけど、ねぇ〜

最近は美味しいコーヒーを年末に頂いたので、
それを一人で飲むときがとても幸せな気持ちになります。
まぁ、そういうときには決まって忘れていた仕事を思い出したりして、
ちょっとブルーになったりもしますが、
それも大切な時間なんでしょう。

2011年1月13日木曜日

本気でオコル・・・

飼われている動物ってどれくらい人間の言葉を理解しているのでしょうか。
ウチのジャズ君(ハスキー半分、後は不明、6歳)は、
多分二歳児程度の意思の疎通はできそうです。
もちろん或る条件が整えばということですが。
特に訓練をしたわけではなく、
ただぼーっと一緒にいるだけですが、
違う言葉を使ってもその意味を理解しているようです。

そもそもジャズは僕のことを友だちだと思っているフシがあります。
主に仕える従順な従者では決してありません(笑)
僕も従者を望んではいないのでそれでいいのですけどね。
だから真剣にケンカするので何度も噛まれました。
もっとも決して本気では噛まないところがエライです。
豚の骨も噛み砕く力で噛まれたら病院行きです。

そんな彼もほとんど一日をヒマそうにウロウロしています。
楽しみってなんでしょうね?
自由に動けるわけでもなく、
何を考えて暮らしているのでしょうか。
最近は夕方散歩に出かけるのですが、
その時はとても楽しそうに歩いています。
唯一自由に出来る時間なので、
好きなところに行くようにしています。
寒くても雨が降っても彼は平気なので僕が頑張らねば。
愛情を感じてくれていたらお互いにそれでいいような気がします。

2011年1月12日水曜日

好み

僕は好き嫌いがはっきりしています。
もちろん大人ですから表に出すか出さないかはちゃんと考えています。
でもどうやら表情や態度には表れているようですね。

以前、見た目はただの飲んだくれの爺さんなんですが、
実は芸術文化から食に至まで恐ろしく造詣の深い爺さんで、
でもやっぱり見た目は飲んだくれの爺さんで(笑)・・・怒られるわ・・・
もう亡くなりましたけど、
その爺さんにあることで説教されたときに、
お前はすぐ顔に出るな〜って言われたことがあります。
この爺さんには頭が上がらないので聞き流したのですが、
内心ムカムカしてました。
そしたら、怒るなよってまた言われて、
そんなに顔に出るのでしょうか僕って・・・・?
でも僕にズケズケモノを言ってきたのは、
最近ではこの爺さんだけだったかもしれません。
ちょっと煙たい存在だったことは確かですが、
愛情を持って叱ってくれる人がいると思うと、
心のどこかで頑張ろうという気持ちが湧いてくるものです。
あの爺さんに認められたかったと残念に思います。

とは言え、爺さんといっても年齢的には6歳くらいしか離れていないので、
もしかしたら僕がそう思われる存在にならなければいけないのでしょうか。
決して飲んだくれでもないし爺さんでもない、断じてないのですが、
ちょっと煙たがられているような感じを受けないでもない気がします。



写真ブログもやってます。
http://dandysmile.iza.ne.jp/blog/イザ!

2011年1月11日火曜日

慣れ

何度経験しても慣れないことってありますよね〜
学習能力がないという意味ではありませんよ。

例えば歯医者。
最近は治療方法もよくなってきて、
昔ほど痛い思いをしなくなりましたが、
やはりあの歯を削る音を聞くと憂鬱になります。

ゴキブリ退治も。
この季節は現れないので心穏やかに過ごせます(笑)

オシャレなカフェに初めて入るときも、
小心者の僕はちょっとドキドキします。
別に誰も注目してないですけど自意識過剰でしょうか?

人見知りの僕は初対面の人と話をするのも苦手です。
美しくて好みのタイプの女性なら尚更です。
好みじゃなければ更に話さなくなります(別の意味で)

もちろん人前に出て喋ることも得意ではありません。
どちらかと言えば片隅で見ている方が好きです。

今年も一年、片隅から眺めていたいとちょっと思いました。

引っ越してきました

こちらでは、はじめまして。

   http://creart.blog.eonet.jp/ 

からこちらへやってきました。
どうかよろしくお願いします。
きっと同じようなことを続けて書くと思います。
よろしければお付き合い下さい。